ドイツ語関係出版社・郁文堂の月刊誌
 「Brunnen・ブルンネン(泉)」
 に寄稿したエッセイ

                                              2006年7月31日発行


 「ドイツ語訳日本の歌」を聴くアニメファンたち

 

田辺とおる

ドイツ音楽を勉強するために渡独し、劇場に入ってオペラ・オペレッタを歌ってきた。つまり「ドイツでドイツ人聴衆のためにドイツの作品を歌う外国人」を、とりわけ疑問も持たずに務めて来たが、ふと気づいた。ローレライ・野ばら・もみの木など、邦訳によって日本人はドイツの歌を何曲も愛唱しているのに逆は一曲もないし、Karaokeという国際語が「空の管弦楽」という日本語だと知るドイツ人はほとんどいないのだ、と。

そこで、ドイツ語訳で歌う日本歌曲を演奏会に加えてみた。一番ドイツ語・二番日本語で歌う。ドイツ人聴衆の反応が違った。日本語だけで歌うと異国情緒の域を出ない歌が、歌詞を追うことで親しみを増す。「待ちぼうけ」のオチに笑いが起こり、「初恋」の心情に共感を得る。カラスといえば死の予感、兎の童話は兎とヤマアラシと思っているドイツ人には「夕焼け小焼け」や「兎と亀」も驚きだ。「窓にうつして寝化粧(北の宿から)」って何?「はーなーのーえーんんん(荒城の月)」って母音無しにnで長い音符を歌うの?・・と興味は尽きない。「ドイツ語だとポップスでもリートみたいに聞こえるし、英語はオペラアリアでもビートルズみたいな気がする」と言われたことがあるのだが、そういう「ドイツ語らしさ」が日本の歌に乗るのはとても新鮮だ。ドイツ語の「浜辺の歌」や「花」はシューベルト歌曲のようで、留学した明治の作曲家の御手本が再確認される。「荒城の月」などの長い旋律線は子音の数の関係か、ドイツ語でテンポを落としたくなるし、逆にアップテンポの「兎と亀」などは一層、躍動感がでるようだ。

この試みが、岡田眞樹フランクフルト日本総領事とブラザー工業ドイツ現地法人社長・長谷川友之氏(いずれも当時)御二方の真心溢れる応援を得て「ドイツ語訳日本歌曲集」の楽譜・CD発刊(Thiasos Musikverlag, Darmstadt)に結実し、独日協会・大学の日本学科や日本語教師・日本語書店などの協力で浸透しつつある。単なる楽譜以上の興味を惹き起こしたいと、日本音楽史の他にも四季・地勢・韻文詩・各曲の特徴などの説明をドイツ語で載せ、歌詞にはローマ字表記の日本語原詩も併記した。「ふろいで・しぇーねる・げってるふんけん・・」と日本中で第九が歌われる如く、怪しげな発音でも「原語で歌う」のは気持ち良いものだ。ドイツ人も是非日本語で歌って欲しいと願う。

 しかし、最も熱い反響がドイツのマンガ・アニメファンから来るとは、僕も出版者も想像しなかった。出版した2003年秋、ドイツの二大マンガ・アニメ祭の一つConnichi(Kassel, www.connichi.de)からリサイタルに招かれる。クラシック音楽の聴衆しか知らなかったので、コスプレに身を飾ったティーンエージャー相手に演奏会なんて成立するのか、不安を抱えて出かけたが、杞憂だった。日本贔屓の彼等は水を打ったように静かに聴き、終われば総立ちで歓声を上げる。クラシックの聴衆よりも感情表現がストレートで心地良い。以来この催しには毎年参加し、他のアニメ祭にも招かれている。「ライプツィヒ・本の見本市」は今春で3年連続出演したし、秋には「フランクフルト・本の見本市」にもデビューする。両者とも活字離れの世相を反映してかマンガ部門を年々拡張し、週末はコスプレ少年少女で溢れるのだ。

この手の演奏会では日本の歌を両国語で歌うほか、本業のオペラも交える。クラシック音楽が若者に不人気なのはドイツも同様なので、ドイツ人が日本人歌手の僕によって「生まれて初めてドイツオペラを聴いた」ということも多く、些か小気味良い。日本の歌では「僕達はドイツ民謡を日本語で歌うのに、君達は日本の昔の歌を知らないから紹介する」と強調し、ついでに菩提樹やローレライを日本語で一節披露する。「ラストサムライの声」というのも効果抜群だ(僕は映画「ラストサムライ」で渡辺謙さんの、独・仏・西語吹替えを担当した)。新聞も「田辺とおるに若い聴衆が熱狂〜クラシックのオペラ歌手がティーンエージャーを感動させ、彼等にお義理の拍手以上を要求することはできるのだろうか?彼はできるのだ!日本のバリトン田辺とおるは、カラフルに装った聴衆を彼の魅力のとりこにした。(Main Echo紙・アシャッフェンブルク)」と驚いた様子で報道するなど、予想を上回る手ごたえを感じている。



 彼等の日本への憧れは本当に強い。Japan ist COOL !! と熱狂する。ビートルズやローリンクストーンズが60−70年代の日本の若者の心を捉え、西欧文化への好奇心を呼び覚ましたが、まるでその逆のようにすら思える。皆、日本のポップスを日本語で歌うことが大好きだ。日本語は大半がかじった程度。ローマ字歌詞をインターネットで入手し、CDを聴きながら覚える。アニメ祭でソングコンテスト審査員をした時の参加者は、総じて上手な発音だった。ドイツ語は英語と違ってaが「エィ」だの「アゥ」だのに変音しないので、彼等の日本語もガイジンのニホンゴ、「ワッタシィワー」の類にならない。

一方では日本語ブームも起こっていて、達者な日本語を使う人や、将来は日本でドイツ語教師をやるのが夢という若者にも出会う。聞けば、彼等にとって日本語は「音楽的な言語で美しい」のだそうだ。ドイツの大学の日本学科の学生には、響きの美しさがきっかけで専攻した人が多いらしい。


 そんな彼等の熱意に後押しされて、僕の「ドイツ語で歌う日本の歌」プログラムにもアニメソングを入れ始めた。クラシック歌手とは言え、瀧廉太郎や山田耕筰歌曲ばかりでは現代日本が紹介できないので、「いい日旅立ち」などは既に歌っていた。促せば客席も(日本語で!)唱和する。Neue Presse紙(フランクフルト)は「・・田辺は演歌のヒット曲『北の宿から』をドイツ語で歌ったあと『この楽譜で皆さんは日本に出張してカラオケに招待されても準備万端ですよ』と締めくくり・・」と書いてくれた。もっとも、何を歌ってもオペラ歌手の声は変えられない。どうやら、それも彼等には新鮮だったらしい。バリトン歌手のアニメソングは意外にも好評だ。、演奏会の度に、ピアニストで楽譜出版者でもあるマティアス・グレフシェスタークとの共作でドイツ語歌詞を作りため、2005年には「ドイツ語訳アニメソング集」の楽譜出版にこぎつけた。ドラゴンボール・セーラームーン・もののけ姫・エヴァンゲリオン・犬夜叉・ポケモン・ヒカルの碁などの主題歌を集めた20曲集。ここから14曲を選んで録音したCDが今秋発売される。      

 マンガ・アニメを通して若い世代に日本への関心が急速に高まっているという海外の事情は、残念ながら日本では知られていない。僕も楽譜出版に際して著作権者に使用許諾をとるために、日本動画協会をはじめ各制作会社とやり取りを重ねたが、全般に海外情報に乏しく、輸出しっ放し、という印象が強い。そんな中で熱心に紹介に努めているのが地方放送局のTV愛知だ。世界各国のコスプレ愛好者を現地で予選し、合格者を毎年名古屋に招いて「世界コスプレサミット」と名付けた祭典を開いている。昨年は愛知万博のイベントとして、メイン会場で大規模に行われた。僕は、ドイツのアニメ界で活動する日本人ということで特別ゲストに御招きを受け、新世紀エヴァンゲリオンの主題歌をドイツ語で、という御注文だったので、折角の機会だから各国の代表にサワリだけ母国語で歌ってもらった。日・独・仏・米・中・西・伊の7カ国。アニメが如何に世界中で人気を博しているか、ということを象徴的にアピールできたのではないかと思う。「音楽という自分のフィールドで、僕らしい国際交流はできないか」という年来の願いが、ひとつ結実した気分になった。

外国の若者が日本に憧れている、のはとても貴重な現象ではないだろうか。経済成長や輸出工業製品を見ても欧米人が日本に「憧れる」わけではない。伝統豊かな異文化も、憧れというよりは知的興味の対象だろう。若い世代が、自分の熱中する分野の最高峰としての日本に熱い視線を注いでいる。「渋谷の交差点に立つ高校生がやってるから」という理由で、白いハイソックスをダラダラにはいて悦に入るドイツ人少女の一団を眺めていると、「日本から欧米へ」という一方通行だった関心のベクトルが変化するかもしれない、という期待が膨らむ。(刊行物の詳細は www.tanabe.de を参照されたい。)